はじめに:自己効力感とは何か
近年、厚生労働省は従業員の「自己効力感」に注目しています。自己効力感とは、一言で言えば「仕事への自信」のことです。具体的には、困難な課題に直面したときに「自分なら乗り越えられる」と信じられる感覚を指します。心理学者バンデューラの定義によれば、「ある目標を達成するために必要な行動を自分がうまく実行できるという信念」とされています。
自己効力感が高い人は、「この仕事を自分なら成し遂げられる」と前向きに取り組むことができ、反対に低いと課題に消極的になりがちです。
本記事では、厚生労働省の報告や最新の人事トレンドを踏まえて、自己効力感の重要性と企業での活用法について解説します。労働生産性やエンゲージメント(仕事への熱意)、従業員満足度に自己効力感がどう影響するのかを確認し、国内外企業の具体的事例や関連する政策支援、そして人事担当者が実践できる施策を詳述します。

第2-(3)-24図 自己効力感等とフィードバックについて|厚生労働省資料
1. 自己効力感の定義と重要性
厚労省の分析が示す自己効力感の効果
厚生労働省の『令和元年版 労働経済の分析』(労働経済白書)では、仕事にやりがい(働きがい)を感じている労働者ほど、「仕事を通じて成長できている」「自己効力感(仕事への自信)が高い」といった認識を持つ頻度が高いと報告されています。これは、自己効力感が高い従業員ほど仕事に積極的に取り組み、成長を実感しやすいことを示唆しています。実際、自己効力感の高さは労働生産性や仕事へのエンゲージメント、満足度に大きく影響します。例えば、ある研究では「信頼できる組織」で働く従業員について、自己効力感が高いほど職務満足度が高まり、業務成績(仕事の成果)も向上することが確認されています。自己効力感が高い人は困難に直面しても諦めずに取り組むため、結果的にパフォーマンスが上がると考えられます。また、自己効力感が高いことで燃え尽き症候群(バーンアウト)を防ぐ効果も報告されており、ストレス下でも「自分なら切り抜けられる」という気持ちが支えになるのです。
エンゲージメント(働きがい)との関係
自己効力感は従業員のエンゲージメント(仕事に対する熱意や没頭)とも深く関わっています。年代や職種を問わない大規模調査でも、自己効力感が高いほど仕事に熱心に取り組み、活力を感じている(エンゲージメントが高い)傾向が明らかになっています。厚労省の分析でも、働きがいが高い人ほど自己効力感が高い状態にあることが分かっています。自己効力感が高い社員は困難な仕事にも意欲的に挑戦し、周囲を巻き込んで目標達成に努めるため、組織への貢献感も高まりやすく、それがさらに仕事の意義や満足感を高める好循環を生みます。
以上のように、自己効力感は個人の心理的な「自信」でありながら、その効果は多岐にわたります。生産性の向上、業績貢献、従業員の幸福度向上から、エンゲージメント強化や離職防止にまで影響することが研究から示唆されています。人手不足や生産性向上が課題となる中で、厚労省が自己効力感に注目するのも、こうした背景があるのです。
2. 企業での自己効力感向上の活用事例
海外企業の取り組み例
自己効力感を高める組織づくりは海外でも注目されています。例えば、米Google社の大規模調査「プロジェクト・アリストテレス」では、心理的安全性の高いチームほど生産性が高いことが明らかにされました。心理的安全性とは「メンバーが失敗や意見表明に対して不安を感じない職場風土」のことで、お互いを尊重し合い失敗を恐れず挑戦できる環境を指します。Googleの調査によれば、心理的安全性が高いチームは離職率が低く、収益性の高い仕事を遂行し、創造性や学習効果も高いという特徴があり、これがメンバー各自の自己効力感向上にもつながっていると考えられます。実際、海外の多くの企業でコーチング文化やメンター制度が根付いており、上司や先輩が積極的なフィードバックや励ましを与えることで部下の挑戦を後押ししています。適度な裁量と支援を与えられた従業員は、小さな成功体験を積み重ねながら自己効力感を高め、更なる高難度の目標にも意欲的に取り組むようになります。
国内企業の取り組み例
日本企業でも、自己効力感を意識した人材育成や組織開発の事例が増えています。厚労省の白書で提言されたように、新入社員や若手向けにメンター制度を導入する企業が多く見られます。例えば、ある製造業では配属直後の新人一人ひとりに先輩社員が指導役として付き、業務目標の設定から振り返りまで伴走する仕組みを取り入れました。新人は身近なロールモデルから仕事の進め方を学び、適切な助言や「次も任せてみよう」といった肯定的なフィードバックを受けることで、自信と成長意欲を高めています。こうした代理体験(身近な他者の成功体験を自分事として学ぶ機会)や社会的説得(周囲からの励まし)を通じて、社員は「自分にもできる」という確信を深めていきます。
研修プログラムにも自己効力感向上の視点が取り入れられています。人材開発の現場では、研修直後に参加者へ習得内容の実践自信度(自己効力感)を尋ねるアンケートを実施する企業が増えています。近年の研究では、研修終了時に自己効力感が高い参加者ほど、職場で研修内容を積極的に活用(研修転移)する傾向があると指摘されており、単なる満足度よりも重要な指標と考えられています。
そのため研修設計においても、講師が具体的な成功事例を示したり、参加者同士で成功体験を語り合うワークを取り入れるなど、研修中に「自分にもできそうだ」という感覚を持てる工夫がなされています。
例えば国内のあるIT企業では、Gallup社のストレングスファインダーを活用した研修を実施し、従業員が自らの強みに気付き活かすことでエンゲージメントと自己効力感を高める取り組みを行っています。
研修後には「自分の強みを使えば新たなプロジェクトでも貢献できる」という前向きな声が上がり、現場でのチャレンジ行動につながったといいます。
3. 厚生労働省の政策と支援策
働き方改革と人的資本経営の流れ
厚生労働省が自己効力感に注目する背景には、日本全体の働き方改革や人的資本経営の流れがあります。働き方改革関連法(2019年施行)では長時間労働の是正や有給休暇取得促進といった「働きやすさ」の改善がクローズアップされましたが、同時に企業に求められているのが従業員の「働きがい」向上です。厚労省の白書でも、「働きやすさ」の基盤整備に加え、メンター制度の導入やキャリアコンサルティングの実施、人材育成方針の明確化といった施策が働きがい(エンゲージメント)の向上につながると分析されています。これらの施策はまさに従業員の自己効力感を醸成する土壌を作るものであり、国も重要性を認識しています。最近では経済産業省や金融庁も「人的資本の情報開示ガイドライン」を打ち出し、企業が人材育成やエンゲージメント施策の状況を開示することを求め始めています。自己効力感の向上施策は、従業員のスキルと意欲という人的資本への投資であり、企業価値向上につながるものとして政策的にも後押しされているのです。
企業が活用できる支援策(助成金など)
実際に企業が自己効力感向上につながる施策を講じる際、厚労省の各種支援制度を活用できます。代表的なものが人材開発支援助成金です。この助成金は、事業主が従業員の職務に関連した専門知識・技能を習得させるための職業訓練を計画的に実施した場合に、研修に要した経費や訓練期間中の賃金の一部を国が助成する制度です。
例えば、社内研修や外部セミナー受講、OJT指導者訓練など幅広い人材育成施策が対象となり得ます。自己効力感を高めるには従業員に学びと成長の機会を提供することが不可欠ですが、これらの費用を助成金で一部賄えるのは人事担当者にとって大きな支援となるでしょう。また、厚労省はキャリアコンサルティングの普及にも力を入れてきました。かつては「セルフ・キャリアドック制度」として、定期的なキャリア面談を導入した企業に助成金を出す仕組みもありました(現在は統合されていますが)。現在でも、人材開発支援助成金の中にキャリアコンサルティング実施に関連するコースが含まれており、従業員のキャリア形成支援制度を整える企業への支援が行われています。キャリア面談の場は従業員が自分の強みや将来の目標を整理し、会社からの期待や支援策を知る機会となります。これによりキャリア展望が明確になれば自己効力感が高まりやすいことは、厚労省の分析が示す通りです。人事担当者はぜひ国の制度も活用しながら、従業員の継続的な能力開発と自己効力感向上を後押ししていきましょう。
4. 人事担当者が実践できる自己効力感向上策
最後に、企業の人事担当者が現場で活用できる具体的な施策をまとめます。自己効力感は適切な働きかけによって高めることができるとされます。以下のような施策を組み合わせ、従業員一人ひとりの「やればできる」という感覚を育みましょう。
●目標設定の工夫(適度な挑戦と成功体験の提供): 従業員に与える課題や目標は、容易すぎず難しすぎない水準を意識します。適度に挑戦しがいのある目標を設定し、達成した際にはその成果をしっかり認識させることが重要です。小さな成功体験の積み重ねが自己効力感を高める最大の源泉となります。定期的な目標の見直しとステップアップにより、「できた」という実感を段階的に得られる仕組みを作りましょう。
●上司からのフィードバック制度の強化: 日常業務における上司や先輩からの積極的なフィードバックは、自己効力感醸成のカギです。厚労省の調査でも、フィードバック頻度が高い職場ほど自己効力感や成長実感が高いことが示唆されています。評価面談や1on1ミーティングの場だけでなく、日頃から部下の行動に対して具体的に誉める文化を醸成しましょう。ポイントは、単に「よくやった」と伝えるだけでなく、「〇〇のプロジェクトでの君の提案は非常に顧客ニーズを捉えていて助かった」といった具合に、行動の重要性や意義を具体的に説明しながら誉めることです。その際、成果だけでなくプロセスも評価することで、失敗した場合でも学びにつなげられる安心感を与えます。
●メンター制度・ロールモデルの活用: 新人や若手社員にはメンター(指導役)を割り当て、業務指導だけでなくキャリア面での相談役となってもらいます。先輩社員の成功体験や失敗からの克服談を共有してもらうことで、後輩は代理的経験を積むことができます。「自分と似た立場の先輩が乗り越えたのだから、自分にもできる」という実感は強力です。また、社内報や朝会などで身近なロールモデルの活躍を紹介するのも有効でしょう。たとえば「営業成績を伸ばした若手社員の取り組み事例」を共有すれば、他の社員の刺激になり、自分もチャレンジしてみようという意欲につながります。
●心理的安全性の確保: 上司・同僚に対して自由に意見を言え、失敗や課題もオープンに共有できる職場風土を築きます。先述のGoogleの例が示すように、心理的安全性が高い職場ではメンバーが失敗を学習の機会と捉え、互いに助け合えるため、新しい挑戦が生まれやすく自己効力感も高まりやすいのです。人事担当者は管理職向け研修等で心理的安全性の重要性を啓発し、日々のコミュニケーションで部下を萎縮させる言動(頭ごなしの否定や叱責)がないようマネジメント手法の改善を促しましょう。具体的には、ミーティングで階層に関係なく意見を募る、失敗事例を共有して称賛する(失敗から学んだことを評価する)場を設ける、といった施策が考えられます。「何でも言い合える」「困ったときは助け合える」職場は、社員に安心感と帰属意識を与え、結果的に社員のチャレンジ精神とエンゲージメントを向上させます。
キャリア支援と目標の可視化: 従業員が自分の将来像を描けるよう、キャリア面談やキャリア研修を充実させます。厚労省の分析によれば、キャリア展望が明確な社員ほど働きがい(自己効力感や成長実感)が高い傾向があります。人事担当者は定期的にキャリア面談を実施し、社員の希望するキャリアパスと会社の求める人材像をすり合わせましょう。必要に応じて社外のキャリアコンサルタントの力を借りるのも有効です。将来的な役割や求められるスキルが見えると、社員は自己啓発に前向きになり、「このステップを踏めば目標に近づける」という自己効力感が高まります。加えて、社内公募制度や社内FA制度など、社員自らキャリアを切り拓ける仕組みを用意すると、「主体的にキャリアを築けている」という感覚が社員の自信となり定着率向上にも寄与します。
●研修・スキル開発の提供: 業務に直結する知識や技能を習得する機会を継続的に提供します。新しいスキルを身につけ「自分の能力が上がった」と実感できれば、従業員の自己効力感向上につながります。研修後には学んだ内容を職場で試せる環境(OJTやフォローアップ研修)を整え、成功体験につなげましょう。例えば、営業研修で学んだ提案手法をすぐ実案件で試し、小さな受注でも成功すればその都度称賛しフィードバックする、といったサイクルを回します。また近年注目のジョブ・クラフティング(従業員自ら仕事の進め方や役割を再設計する取り組み)を支援するのも一案です。従業員が主体的に業務改善アイデアを提案・実行できる制度(業務改善提案制度など)を設ければ、自分の仕事に対する裁量感が増し、「やらされ感」ではなく「自ら成し遂げている」という自己効力感を醸成できます。
●評価と報奨の工夫: 自己効力感を維持向上させるには、努力と成果が公正に評価され報奨と結び付くことも重要です。人事評価制度において、目標達成度だけでなくチャレンジした過程や学習姿勢を評価項目に含めましょう。結果が出なかった場合でも挑戦自体を評価する仕組みにより、社員は「また頑張ろう」という前向きな気持ちを持ち続けられます。表彰制度やピアボーナス(同僚同士の称賛制度)を活用し、小さな成功や良い行動にスポットライトを当てることも有効です。周囲から認められる経験の積み重ねが、本人の自信を揺るぎないものにします。
以上のような取り組みを通じて、従業員の自己効力感を高めていくことは、個人の成長と組織の成果の双方にプラスの効果をもたらします。厚生労働省の示すとおり、人材不足時代においては一人ひとりが能力を最大発揮できるようにすることが企業の生産性向上の鍵です。自己効力感という内面的な資源に目を向け、その醸成を支援する人事施策は、これからの「人的資本経営」の中心的テーマになるでしょう。人事担当者として、社員が自らの力を信じて生き生きと働ける職場づくりに、ぜひ戦略的に取り組んでみてください。